伴奏と伴走の話。


万年休日に毛が生えたような日々を過ごしている。


友人は結婚し、

(このフェーズの悲しみは友人の少なさからもう当分は訪れないであろうと推測される)


赤ちゃんができて

(これは不意にまだ訪れる気がする)

彼らの成長過程を眺めて


いつかは彼らの成人を祝うような日が来る。


こと人生を歩く毎に、選択の分岐路があって

右だ左だを選んできた。


そう考えると生まれてから

なんだかんだ年齢を軸に前進はできても

止まる事は起こっていない。


でもどうなんだろう。

進んでいると思っているだけで

ハムスターのようにカラカラと

まわし車の中を走り続けて


その場に走ってると思っているのは自分だけで

実はその場に留まり続けているだけなのではないだろうか。



あるいは陸上競技のコースのように

一斉に走り出す。


将来について考えるのはこの時期

受験について考えるのはこの時期

就職するのはこの時期

結婚するのは、子供ができるのは……


周回差がついて友人らに

手を振られながら

徐々に沈んでいく足。


呼吸する肺も循環させる心臓も

前へ進むための脚も腰も

疲れ果てて倒れ込みそうだ。


あまり人と比べる人生ではないが

考えただけで息苦しくなってくる。


けれども現実逃避というスキルが高いので

時折そんな想像に心ざわめかせたりもしつつも


まぁなんとか明日の自分にたすきをかけたりして走ってる。

考えなしともいうだろうが、全部想像に過ぎない。


疲れたら寝る、悩んだら寝る

後悔あれば食う。


生きてさえいれば何とか光明を見つけられるんじゃないか


誰かの日々に音楽を添えたり

走り続ければそばを励ましながら走ってくれる人間も現れてくる。


そう思いながら生きる。


そんな日。



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夢の中の電話