遠くから眺める話。

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」


とても辛かったりなんかすること、

今になって見れば些細なことに見える。


本当にそうなのだろうか。

墓参りへ行った。


偶々すれ違う救急車。

救急車や消防車、けたたましい音のする車は苦手だ。


止まらない車、

救急車に乗っている病人や怪我人、

付き添いの人、


いろんなことが一気に溢れて

しんどくなってしまう。


病院に着いた頃には多分死んでいたんだと思う。

もしかしたら息を吹き返すかもと思っていた3日間。


最期になるかもしれないと思って病室で姉妹で撮った写真。


前期の科目、どうしたんだろうな。

出席日数ギリギリ足りなくて

だからといって教授らに相談したり

ゴネたり、そういった気力はなくて


気力がなかったけれども

何だったんだろうな、


何もかもにイライラしてやたらに

試験勉強だけはして


取れた単位がいくつかあった。


運ばれた病院で妹の死に関してセラピーを

受けないかと聞かれた。


そのセラピーを受けてたらねじくれて

おかしな形で日々を過ごさなくて済んだのだろうか。


あぁそれは悲しかったですねみたいな

わかったような風に答えられたら


黒い嵐みたいな気持ちが何もかも

押し流していきそうな気がした。


夜を眠れば良い夢も悪い夢も

あることないこと夢見そうな気がして

ずっと勉強していた。


日に10時間近く寝ていた人間が

寝ずに作業できるわけなく

昼休みの時間だけ死んだように寝た。

気絶してたのかもしれない。


授業中もそんな感じだった

気付いたら机に頭が沈んでいた。


卒業出来ないことはどこかの段階で知った。


適当にやれば良いのに

頑張ればがんばらなきゃと

無理して回した結果

すぐガタが来る頭と体。

元々4年では足りなかったと思う。



卒業パーティーの日。

皆誰もが不満を言いながらも

笑って卒業していく様が憎くて


自分だけが真剣で

けれど自分だけがここに残されるんだと思ったら

馬鹿みたいにワインばかり呷ってた。


赤白赤白……どちらが少なくても可哀想。


そうこうしてる間にお世話になった教授たちと記念写真を撮る段になった。


もうその頃にはだいぶ目が回ってた気がする。

立ってるのも疲れちゃって倒れ込んでしまった。


看護や救急、心得のある教授たちが

自分を囲んでてなんだかさすがだなって

わきを抱えられ部屋の隅に運ばれて

柔らかい椅子を重ねた即席ベッドに寝かされる。


気持ちも悪いしトイレにも行きたい。

心配だから外でついてるっていうゼミの子を

鍵の開いた多目的トイレの前に待たせてた。


いつもの鬼みたいな眠気に襲われて

トイレの床で寝始めたりしてしまった。

今思えば夢の国のトイレはとてもきれいだった。

少なくとも汚くはなかった。

トイレのタイルは冷たくて気持ちが良かった。


トイレで倒れてる自分に

悲鳴みたいな声を上げた友人

多分救急隊員の人が来たから中の様子を見に来たんだと思う。


連絡先とかいろいろ聞かれて

自宅には絶対かけないでくれって

叔母の携帯番号を伝えた。


携帯のアドレス帳を隊員の人が調べて

そこにかけてくれた。


妹が死んだ半年後に自分がもしかしたら

急性アルコール中毒で死ぬかもみたいな


仮にそうだとして家族が病室で

あの地獄みたいな空気の中

うなだれてる様にはなって欲しくない。


救急車でぼんやりしてる間

それだけ考えてた。

もう誰にも悲しんで欲しくない。


実際には誰もが悲しむような真似をしていたんだけども。


ともあれ救急車に乗ってからは

隊員にとってどうでも良いようなこと

ベラベラ喋っていた。

止まらなかった。


半ばうわ言みたいになりながらも

式の余興でやっていたクジかなんかの景品の大きいプーさんのぬいぐるみが欲しかった話を何度もしていた。


せめてあんな状態でも大学へ通い続けたことに対して目に見える形でわかるものが欲しかった。


まぁ冷静に考えれば

持ち前のくじ運のなさで当たるはずもないのだけども

会場を遠ざかる中で唯一の心残りだったんだと思う。


点滴を刺され、トイレも行くとまた倒れる(寝る)のでおむつを履かされ

硬いベッドに寝かされる。


どこかのタイミングで

病院には誰も着いて来るなって

言ったつもりだったが誰も聞きやしない。


知人らが医師と話してる声が聞こえたけれども

壁と向き合って聞かないに徹した。


ゼミのメンバーの飲み会でもよく飲み会を開いたけれど

あの人はそもそもそんなにお酒に強くないのに毎回飲み過ぎてしまうんだとか


そろそろ帰るねとささやくように言った

彼女らに寝たふりをきめ込んで


偏りに偏った恨み言を煮詰めに煮詰めて

醜悪なジャムを作ってた。


何も憎むな、たとえ学科とは別の就職先へ行っても他人の人生じゃないか。

お前の思うところではない。


心理やろうが哲学やろうが

カウンセラーと哲学者だけが道じゃない。


後日、たとえあんな恨み言を吐いても

ゼミのグループLINEに自分の居なくなった後に自分を抜いたメンバーと担当教授と満面の笑みの写真があげられたときはなんだか堪えた。


心配だなんだ言っても楽しそうで

日頃を点数稼ぎなんて思っていたことを

そんなはずあるわけないと

心苦く思っていたが

勝手に現実味を帯びた気がした。


実際には1人消えたとしても貴重な卒業パーティー記念写真の一つや二つや三つ四つ撮るんだと思う。

そういうことにしたい。




時々フォルダを整理していると妹

病室で撮った写真が出てくる。

もう死んでんだ、ばかやろうって病室の自分を突き飛ばしてやりたい。


あの頃に戻ってネイルを見たがった妹の手を

振り払ってしまう、そんなことするなって過去の自分を突き飛ばす。


あれから数日後に妹が変な時間に風呂に入ろうとする手を自分が引き止められたら。


これを書きながらミニチュアみたいな場面がいくつも浮かんだ。


眠るベッドの後ろを振り返れば

おばけみたいな自分を恨むような妹の顔が

すぐ後ろにあるような気がして振り返れない。


今すぐ寝るんだ。


願わくばトイレで悲鳴を上げたあの知人の夢だけは小さなものであっても良いので

叶ってほしい。


自分にとって記憶に残っているあの日は

妹の命日から飛ぶように過ぎた大学での日々。


そんな深夜。