もう何も、もう何も心配することはないの話。


最近暗い話になりがちでいやだな。

でも逆に考えれば、

他人と比べる心の余裕ができたとも言える。


良いか悪いかは別として。


トイレの床に手をつく。

あまりにも取れない汚れがあって

金属だわしで擦ったりした。


床に寝転び、頬から伝わる冷たさに眠る。

一番寝心地の良いトイレは

夢の国の式典会場ホテルの多目的トイレ。


卒業できない卒業パーティー

搬送されてからだいぶ生きたな。


みんなと卒業パーティーに出られるのは

来年卒業するにしても今年だけだと、

出ることを決めたけれど

馬鹿みたいだな。

何を祝いたかったんだろう。


みんな卒業するのに自分は違う。

場違いさから参加費払ったから

タダ酒だとグルグル飲みまくって

下手なダンスを踊るみたいになってしまった。


友人、ひどい奴だとは思うが

自分には友人と呼べる人間はいたのだろうか。

大学時代の友人を紹介されるたびに

薄暗い影みたいなものが過ぎる。


私にも一緒に学べる学友が居たら。

絵を一緒に描く友達はいた、

語学を学ぶ友達もいた、

自分が休みがちになれば心配する友達もいた。


思い出せば贅沢だが自分が記憶の中に

鍵かけて飲み込んだだけで

自業自得の成れの果てのようだ。


みんなが学んでいる時、

自分は勝手にから回って

学ぶ楽しさに寝食忘れてオーバーワークに

なってぶっ倒れた。


いつもそうだ。


担がれて奥の椅子に横にされて

この子はいつもこんなに飲んでるんですか

と尋ねられたゼミの子らが

普段からそんなには飲めません、

今日はとりわけ飲んでるなんて話をしていて惨めになったりした。


トイレの床に長時間触れるたびに

思い出すのかなこの話。


救急車の音も嫌いだ。

雨の日救急車は妹を、

晴れた日の救急車は妹が死んだその年に

自分まで死んだかもしれない家族の顔がチラつくから嫌だ。


後者は自業自得だが。

あの日メソメソと

インクアートのように歪んだ救急車の天井の中で

意識を飛ばさないようにと

救急隊の人が話し続けてくれて

ビンゴ大会の景品のクマのぬいぐるみが

欲しかった話をうわ言のようにした。



欲しいものは自分で掴まなければ

あの時欲しかった黄色いクマは

後日購入して今自分の抱き枕になって

お腹のあたりの綿が逃げ始めてる。


何も心配はいらない、過去は過去だ。

現在は現在。

自分なんかを可愛いと言い

ご飯食べさせることしか元気付けられないなんて

いじらしいことを言う恋人もいる。


職場は嫌いだが自分のペースで

働くこともできる仕事もある。

休んだら契約違反なんて言われるけれど

しょうがない。


目の回るような頑張りは

お前にとってのトイレのシミのようなもので

倒れるからやめろと言って

取れる汚れでもないのだ。


これ以上に望むことはない。

子供も結婚も、貯蓄も、

そんなものは望むべくもない。


望めばきっと、不幸なことになる。

それに欲しいものでもないでしょ。

それだけはわかる。


消極的な幸福について考えさせられる。

だってこれ以上の時間数は気が急いて働けないでしょ。


そんな日。