歩道橋の話。



気分がくらい、読まない方が良い。







最近はひどい気分だ。

そんな日に友川かずきを聴くと

ろくでもないことになる。

曲と気分が共振して不安が増幅したりなんかする。


もちろん友川かずき氏に罪はない。

当たり前だ。


妹の時はお骨は母が持っていたけれど

あの霊柩車はどこへ向かっていたんだろう。


この作業が終わると火葬場へ向かうのだという気持ち

混濁してる。


火葬場へ向かった後、自分は遺影を受け取ったのだ。

母さんはお骨を持つからと。


あまり気分がすぐれない。

贅沢なんだ。


こんなにも恋人や友人、会社は

自分によくしてくれるのに

酷く気分が落ち込んで

誰もが自分を見限るような気がする。


一番見限ってるのは自分なのにな。


そんなことはないことくらいわかってる

しかし止めどなく押し寄せる波みたいなものが

自分の自信やら自尊心だとか

そう言った類のものを削り取っていく。


妹が火葬される様は見ていられなくて

どこか離れたところにいた気がする。

自分がプレゼントしたエプロンも

すっかり灰になった。


アリスよりチェシャ猫の大きく描かれた

エプロンだ。

私がプレゼントした。


棺の中の妹は一番お気に入りだった上品な赤のスカートと

ブラウスを着せてもらっていた。


まだ妹を焼かないで欲しいとか

そういったことを思ったか

言ったか親族の手前言わなかったような気もする。


祖父が焼かれる、祖父はおしゃれだった。

よくシックな帽子をかぶっていた。

あまり会えないことが増えて

久しぶりに会ったときには

あまり足が良くなくて母方の祖父も

そういう歩き方をした。


病院で入院するようになって

また会いに行くと風呂上がりでうつらうつらしていて

でも孫のゆきだよ、というと

目少し覚まして眩しいものでも見たように

目を細めて微笑み(そのように見えた)

そうしてまた眠ってしまった。


それからどれだけ経ったんだろう。

亡くなる前に最後に会えて良かったという話をした気がする。


祖父の宗派⁇だと死は生まれ変わりの儀式で

喜ばしいものだから湿っぽくはしないのだと聞いた。


歩道橋を上がれば道路を眺め

骨の砕けた自分を思う、

橋を渡れば川を眺めて

魚に啄まれる自分を思う。


職場の道中意味もなく泣いてばかりいる。


妹の時のような悲しみを

誰にも負わせたくないと思いながら

薄暗がりで薄く燃える小さな火がなんだか

弱い呼吸に合わせてさざめいてる気がする。


自殺と他殺とそれ以外の方法があって

誰も悲しまない方策があるなら

それを実行に移したい。


安楽死も自殺みたいなもんだ。


疲れてそんな気力もない。

それだけが救いだ。


妹も死んだ妹より愚かな姉が死んだ方が良かったと思ってる。

そんなことはない、どこにそうでない証拠がある。


生き急ぐと火葬場を思い出す。

部屋の片付けをして、

冷たいとぬるいの狭間の風呂に入る。


部屋の片付けをする。

できなくて何もかもが嫌になって

部屋に火を放つ、全て夢の話。


そんな暗がりにいる日。