人生における余白の話


昔はよく電車で本を読んだ。

大学では片道1時間くらいの電車に揺られ

高校では図書館に籠り、自習室に籠り、

日がな本を読んだ。


だけれど、今はあんまり読んでいない。


電車に乗ってる時間も余白、

勉強してる間の小休憩も余白、

昔は余白を見つけてその時間を

利用するのに優れていたのかもしれない。


赤ちゃんの持ってる反射運動みたいな

ある時期を過ぎると失われるものなのだろうか。


帰宅後ヘロヘロベッドで猫を吸って

昼寝を始めてしまう。


なんだか悲しい。

だけれど


余白に読書しか詰めてこなかったあの頃より

今は昼寝を詰め、猫を可愛がり、編み物、

たまに絵を描き、友人に手紙を書く

余白に色んなものを詰めれるようになった。


最近の余白は妄想の中のゲームを形にする作業。

思えば小説とは呼べないプロットみたいな文章をパソコンでカタカタやるのが好きだった。


プロになれなくても、お金にならなくても

やってみれば良いのだ。

減るものでなし。


最近は気ばかり急いて

あんな事やったってしょうがないと

色んなことをふて寝してやり過ごしていた。


いろいろ元気を取り戻しつつあるのかもしれない。

休日出勤、それでも元気に頑張りたい。


Forever young

あの頃の君にあって、今の君に

無いものなんてないさ。

良い歌だ。


そんな日。


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ものを編む余白