神様はゾウムシがお好き、な話。


養老孟子さんの「猫も老人も、役立たずでけっこう」を読んでいる。


どれもこれも、たった一枚の紙切れのせいだ。

そんなことはどうだっていい。

これから美味しいご飯をたくさん食べるから。


1時間も早く目的地に着いてしまって、

本当はもっと早く着いていろんなところを回りたかったが

そんなことをするには1人では短すぎる。


行きに迷子になり帰りに迷子になる。

これはいけない。

どれだけ迷子になっているか想像だにできないから。


しょうがないのでお供に引き連れてきた

先ほどの本を読んでいる。


軽やかですぐ読める、

久しぶりに読んでいて楽しい本だ。


別にいつも読んでいる本が楽しくないわけではない。

ただ編み図は頭を使いながら指も使わないといけないし、

短歌は作者の思う景色をその目で補って読まなくちゃいけない。


エッセイは良いな、その人の見た風景、感じたこと、

やー、それは違うんじゃないかなと思っても

そんなこともあるのかと言う気持ちにさせられる。


もちろんそんなことがあっても、

相容れないなとおもったりもする。

人間誰にでも受容共感なんてできないんだから。

みんなそれぞれ、ひとそれぞれ。


猫好きが犬好きを否定するような時には

まぁ口には出さないけどそれはちがうなと

その人に対するメモに心の中で付箋を貼ったりする。


ペットの話は避けた方が無難、と。


まぁ風に揺らめいたりちょっとした隙に

経年劣化で剥がれたりする

そうしたらまた貼り直せば良い。



さて、神様はゾウムシがお好きな話。

本の中で養老さんは

昆虫の中でも甲虫は種類がとりわけ多く

その中でもさらにゾウムシが多いらしいことを発見する。


そして神様が地球に存在するものを作ったとするならば

神様はよっぽどゾウムシが好きなんだろうと書いていた。


人間よりも多い虫、

何か心に寂しいときは友人や恋人、

家族やゾウムシのことを考えようかな。


神様が好む虫、ゾウムシ。

なんだかゾウムシへの印象が

この1時間で割と大胆に書き換えられたように感じる。


本を読むとは良いことだ。

本を読もう、著者と読者である私と

日々を共にする私と。


今にも壊れそう木船で荒れた海を渡ろう。

少し気分が明るくなったような気がする。


そんな日。


金曜日が終われば、明日からはお休み。

なんとか乗り切ろう。