遺書の話。


遺書を読んだ。


私が実家を出て、しばらくしてから

母親からLINEが来て

亡くなった妹の洋服ダンスから

遺書が出てきて

その内容をと転送してきた。


私はスマホを片手に

目を皿のようにして液晶を眺める。


如何様にしても、目は上滑り

スクロールする指さえいうことを聞かず、

指は痺れ、苛立ち、ぎりぎりと頭痛が立ち上り

それでも続きはなんと書いてあるのか全く読めず、

やむ終えず目を覚ましてしまう。


何もかも夢の話で、最初から

現実との整合性が無く

これは夢だと思いながら

そこにはなんて書いてあったのか

続きを見せろとせがみ望んで

悪夢を見てる気さえしてくる。


悪夢なんだろうか。

なぜ妹は………


以前ほど苦しく脳汁からえぐみが出るほど

絞りに絞って意味もなく

訳のわからない仮説をむやみやたらに

立てて沈み込むことは無くなったけれど


そこに書いてあるのは感謝か詫びか告発か

ひきつれるような目尻の感覚がして

目が覚める。


あいつは、あぁ見えて闇が深いとか言われるとなんだか薄ら笑える気持ちになる。


あぁこの人達は幸福な人なんだな……

夜眠れなくて、ありもしない遺書を

握りしめて抱えて崩れ落ちることもないんだな……


そして、彼らは妹の亡くならなかった時の

自分なのかもしれないと思ったりもした。


体験したことのないことは

想像すらつかない。

もちろんそんな体験しないに越したことはない。

他の誰もしなくて良いことだと思う。



けれど、そんな事経験しなかっただろう私は

それはさぞ辛い体験だったでしょうねと

今の私みたいな人間の肩を抱くかもしれない、

今の、或いは過去の私はそういった人間を忌み嫌っていたから

そんな人間に出会ったら滅多刺しにしたかもしれない。



自分が満足したいだけの優しい人間が嫌い、

私のような人間が嫌い、

人を救いたい烏滸がましい人間が嫌い、

私のような人間が嫌い、

私のような人間が、

私のような人間が、




ミュシャの描いたメディアのポスター

あの絵は昔から好きだったが今は

全てをやり終えた自分のような

何もかも出尽くした自分のような

そんな風に見える。


例え自他含め殺してやりたいような人間がいたとして、それを行動に起こすかどうか

短絡的にそれを実行に移してしまうことは

愚かであり最後の1人であっても

私は私にそんなことはしない人間で

あって欲しい。


すり減った脳にでもそれだけは貼り付けておいて欲しい。



そんな日。