諦めるの話。



諦めるの語源は明らめる。

仏教で明らかにするに由来するって聞いた。


中学か高校か、小学校か。

校長か副校長か誰かわからないけど

集会で話した事覚えてる人間なんて稀有だよ。


あの頃の自分は集会と週会の違いがわからなかったな。

みんなで並んで先生の話聞いてる方が集会、

生徒主催の退屈な方が週会って感じだった。


わからない、月曜と木曜の違いかな。

あの頃から曜日感覚がなかった気する。


月曜と木曜日もあんまりわかってなくて、

思えば模様編みみたいなものだったな。

月曜はこうやって編んで、

火曜日はまた別の編み方で編んで

月曜日と木曜日の編み図を読んで曜日を知って

編み図を読まなくても良くなる頃には

学期が終わるみたいな。



さておき、諦めるの語源は

物事を吟味した上で理に適わないものを明らかにする=諦める、てことなのかな。


真人間なんて諦めちゃっちゃって

今の自分は開き直って自分の人生ぶっ壊しにかかってるみたいだ……


誰にもどこにも胸張って生きられなくて

淡々とこなせ、それだけを命題に生きてるて感じ。


自分がやってること、淡々と給料日に

これまで払ってこれなかった年金を支払い

残りを誰かに依頼したり、プレゼントしたり、出かけたりに使ってる。


お前に未来はない、そのとおりだな。

損切りが早くて羨ましいに尽きる。


書いてて吐きそうになってくるな。

どうしてこんな正月から嫌なこと考えてるの?


まともな人間なら何を考えてるの?

将来のために貯金して、お金を増やして

健全に結婚して、子供を作って、

学校に送り、成人式を見守り、

その子供が子供を作って、

死にそうな際には、孫たちが自分を囲ってみたいな


そんな夢を見たこともあった。

まぁ大前提として子供がいなきゃ孫は

生まれなくて……みたいな前提から破綻してる。


諦めるの語源を聞いた頃には想像も出来なかった今。みたいな。


毎日毎日、薄いのか厚いのか

わからない凍った湖の上で

ハンマー持ってどれくらいでヒビ入るのか耐久テストしてる感じ。


お前の人生、いつ終わるのかな

今日かな、明日かな来年かなみたいな。


手首は切らないし、酒もやらない、

やらないようにしてる、

だけど不眠と衝動買いで自傷してるって感じ。


真人間は諦めても、人間は辞めたくないけど

もうやり直し方もわからない。


姉がこんな風だったら、

わたしはこうなっても

最低なところ移ろってても


そもそも落ちてくることはないとは思うけど、失敗しても大丈夫なんだって思って欲しい。


何も飲んでないのに気分悪くなってきた。

どんなところにだって道は有れ。


頼む、そうあって欲しい。


新年早々に、角煮はレンジで温めてはいけない。

教訓ノートに残した方が良い。


涙が苦くて、自分が憎くて、

出来ることを淡々と

そうやって生き延びていくしか、


とりあえず今日は掃除をして

帰ってくる妹の部屋を人間の

住んでいる部屋にしておかなきゃいけない。


それが今日の淡々。


そんな日。