軽々と追い抜いていく話。


ラソン大会が近づいてる。

ドキドキしてる。


体重のある人は膝に負担がかかるので

減らしてから挑んだ方が良いと

聞いて怯えてからしばらく経った。


膝から軟骨が飛び出るなんて聞いたら

ちょっと物怖じしてしまった。


500メートルでヘロヘロから、

5キロ(ときどき歩きながら)に

よく頑張ったと思う。


練習できるのはもうそろそろまでかも

と思って走っていたけれど

運動部の子かな。

後ろから走り出してタイムを計っていた。


彼女達は軽々と自分を置いて

先へ進んでしまった。


いつもならなんだかあれはまるで

自分の人生のようだブツブツと

ヘコんでしまうのだが


今日はなんだか違った。

まぁ彼女達は運動部で、まして

半周1400キロ分のペースで走ってるんだ。


自分は5キロ………5キロ〜〜

その4倍は走るペースで走らなくてはならない。


あんなペースに合わせてたら

とても足がもたないと

できるだけ目を合わせないようにした。


でも一緒に走り出した女の子ふたりのうち

1人の方が少しへたってきているのが

見えてしまった。


自分がスポーツをやらなかったのは

そういう事なのかなとか

勝手に思ってしまった。


自分が根性なくて辛いことをなぁなぁにしてきた報いが

なんとなくじわじわと差をつけられて

見せられるような気がした。


スポーツくらいでそんなと思われるかもしれないけど

人生だって同じはずだ。


みんな歩く歩道みたいな

気付いたら定職に就いて

タイミングが来たら結婚して

子供がいてみたいな。


………


ただ機会がなかっただけだ。

スポーツも結婚もただ機会が無くて

タイミングが合わなかっただけだ。


今それをやってる。

週末にはマラソン大会がやってくる。


走り始めから10分過ぎたくらいから

呼吸が辛くなくなるから

がんばろうって本に書いてあった。


もともと走ることが苦しいから

どんなふうに楽になるのか

いまだにわかってない。


でも毎日、ここからが

(自分の場合は2.5キロ地点の柱)

辛いだとか、あの坂道が辛いとか思ってる。


楽になった気がするの意味はわからないけど

なんか明日自分で死んでもいいからみたいな

決意をなんとなくして

生きることを決めた朝みたいな気持ちにはなった。


あんなにがんばってた妹も死んだ、

自分もこのまま布団のうえで

親に金を使わせて引きこもってるくらいなら

30には完全に消えたい

そうだ遺書書いておこう

今日以降いつ死んでも良いことにしておこうと思った朝。



とんでもない朝だ。


始めた時には出来っこないとか

死ぬよりはマシとか言われてだけど

どうだろう、死んだ方がマシなんだろうか。


ラソン大会終えたら

友人と暴風雨圏内みたいな家の中を掃除するつもりだ。

あの遺書もとりあえず捨てておこう。


30で死ぬかはわからないけれど

今後書くとしたら

もっと幸福な遺書を書くつもりだ。


大会当日は涼しいと良いな。

幸福な亡骸。


そんな日。